八百里城

別名 矢尾利城 付近住所 篠山市瀬利 現在−
碑・案内板アリ 日本城郭大系


畑氏 八百里山は、古代は神が鎮座する山・神奈備として、崇敬されていたと考えられます。室町初期には、丹波守護細川満元の弟満国、持春(よしはる)の父子が畑荘を領し、この城山を拠点に地域の発展に努めました。波多野氏が丹波守護代になった頃の城主は、畑宗右衛門忠綱でした。天正7年(1579)5月明智勢の猛攻により落城しました。ときの城主は畑牛之丞守能(うしのじょうもりよし)で、長男守国、次男能国は討死し、守能は永沢寺に落ちのび、後に、高野山で余生を送ったといいます。